conoco
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終戦の日に…

太陽の塔


年の初め

「 太陽の塔 」の前に立つ




どうしても今年

目の前で見ておきたくて





対峙して…思った…





太陽の塔は

自分自身であり

日本人であり

世界中の全ての人であり

日本であり

世界であると…




善と悪

誰もが持つ顔




知らぬ魔に…

悪へ加担する事のないように…

両腕を目一杯広げ

常にアンテナをはって

目には見えない真実を見る

悪の顔が姿を現さぬように…




そう…感じた…




太陽の塔


[ 岡本太郎の言葉 ]

たった 一人だけでも、「ノン」という。

時代に逆らう人間がいないといけない。





太陽の塔


敗戦の時点で私は強烈に夢みた。

日本、そしてこの世界は

まったく変貌しなければならない、当然変貌すると。

それまでの惰性に対して、

だれかがとび出して「ノー」というべきだ。

否定をぶつければ当然、社会から否定される。

しかし否定されるからこそ

逆に笑顔をもって己をうち出し、ぶつける。



太陽の塔


純粋に自他に挑むことによって運命をひらいて行く。

それが私の絶対感なのだが

あの状況ではまったく何の意味も持たなかった。

軍隊生活四年。

収容所での一年。

あの五年間、私は冷凍されていたような気がする。

わが人生で、あれほど空しかったことはない。




太陽の塔


原爆は今日の生活の最も大きな問題である。

広島の最初の投下に遭遇したもの、

また幾つかの実験に立ち会ったもの以外、

ほとんどの人間がその実体を見てはいない。

しかしその、見たことのない原爆は、

人間の生活の全体をゆさぶり、

戦争の不安、死の灰、放射能雨、はては人類の破滅、

地球の終末というように、われわれをおびやかしている。

原爆の恐怖感はそれぞれの人の心の中に

思い思いの象徴的、または具体的なイメージを結ぶ。

───奇怪な呪われた悪魔。



太陽の塔


原爆がサクレツしたという事実と、

平和の問題は言うまでもなく別個の秩序である。

平和運動はあの激しい現実をみつめたところから始まる。

それは戦争よりももっと積極的に、強烈に闘いとるものなのだ。

この町も、ここに集まる人も、

平和・平和とお題目に泳いでしまっているのではないか。

あのあまりにも美しく、あまりにも不吉な現代の象徴に、

惰性のムードやごまかしではなく、

猛烈な自覚と情熱で、純粋に対決しなければならない。




太陽の塔


絶対に自己と妥協せぬこと、

己の最もいむべきものとして破壊し去ることだ。

それによってのみ、高次の自己を創造して行くことができる。



太陽の塔


日本では決してオリジナリティを認めない。

何でも時代の状況にあわせ、

一般の基準に従わなければ許されないのだ。

あえて己れの筋を貫き「ノー」と言うこと。

それは即この社会から消されることだ。

しかし、たった一人で、だからこそ挑まなければならない。

私はそれを契機として、すべてを変貌させようと決意した。





太陽の塔




  





太陽の塔


終戦から70年となる日


黙祷を捧げます




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